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2011.03.17

アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所 Oswiecim

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            Painted by Illustrator Yurika Nishi



(*´I`)y─┛.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o
依然チェコ・プラハから抜け出せず・・・。
完全に初めて沈没と言うのを味わっています
毎日スーパーマーケットとホステルの往復の日々。
日本が大変の最中、どう旅をしていけば?と自問自答の毎日です。
きっとこれも何か私の役目があると信じたいと思います。
私に出来る些細なことを考えながら、、、
(*´I`)y─┛.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o○.。o


ポーランドには、ここを訪れるために来たと思う。
でも、なかなかブログ書けなかった書こうとしなかった、、、書こうか書かないかで・・その繰り返しで、普段は乗ってくるとダラダラ書けるブログも、すごく指が重く動かなかった。。。その上、ちゃんと書ける自信もなく。
でも、それだけのことを自分が感じた場所だから、今後の自分自身の為にも残しておくべきだと思い書くことにしました。
ただ、私は知識が無いので、間違って解釈していたり、もし私の書いたことで不快になられた方がおられたらすみません。。。
そんな私の"アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所"の旅。
私のビルケナウ強制収容所に触れたことは今まで2度。
一つは高校時代、授業の一環としてヒトラー率いるナチ政権のアウシュヴィッツのドキュメントムービーを見て衝撃を受けたこと。モノクロで全てを映し出していた、これが本当にあったことなんだと、本当に衝撃を受けた。
当時は、授業=昼寝タイムくらいにしか思ってない最低な時期もあったけれど、このドキュメントを見る授業がある時は、すごく前向きな自分が居たのを覚えている・・・。
そしてもう一つは、ドラマ「白い巨塔」。最後の方の回で唐沢さん扮する財前教授が第2アウシュヴィッツ・ビルケナウで死の門へ向かう線路の上を一歩一歩、自分の人生を振り返りながら歩いていたあのシーン。
その時も高校の時に見たドキュメントを思い出し、更に衝撃的やった。
どうしても、この自分の足で行きたいって漠然とその時から思って、想い叶い行くことができました。

クラクフからアウシュヴィッツ博物館まではバスが出ていて、1時間で行けます。
博物館前で降ろしてくれました。

アウシュヴィッツ収容所は第二次世界大戦中5年間にもナチス・ドイツによって占領された、この収容所は1940年にポーランド人政治犯を収容されるために設立された。
当初はポーランド人虐殺の場として利用する予定だったが、ナチスは全ヨーロッパの人間・ユダヤ人・ジプシーとソ連軍の捕虜を送り込んだ。
1939年9月の戦闘のあと、オシフィエンチム市を含むその一帯はドイツ第三帝国の一部に加えられた。同時にナチスはその名前をアウシュヴィッツに変更した。(国立オシフィエンチム博物館資料より引用)
・・・・なので、アウシュヴィッツは正式な地名ではなく、本当はオシフィエンチム市。
博物館行きのバスにも、アウシュヴィッツという記載はなく、あくまでも「オシフィエンチム」行きとされていました。そりゃそうやんね。


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収容所の入口のゲート「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)という文字が掲げられています。
そして有名なのが、ARBEITのBが上下逆さまになっていること。収容者が作らされたもので、せめてもの抵抗の証としてこのように逆さまに作ったっていう説があるらしい。

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アウシュビッツ収容所へ殺害されるために送られてきた人々の殆どは、東ヨーロッパに移住させられるだけと信じていた・・・
鉄道引き込み線に着いた人々を待っていたのは、「選別」
医師が判断して労働できそうな人たちは収容所へ送られれ、仕事ができないと判断された人たちはガス室へ(ガス室へ行くってことは・・・わかりますよね??)証言によると、運ばれてきた人間の70~75%がガス室へ送られていたそう。性別・年齢関係なく・・・。

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窒息死に使われたチクロンBという毒薬の使用後の缶の山。
シャワーを浴びさせてやると隊員に騙され、皆洋服を脱がされシャワー室にみせかけた、天井には水が出たことのない本当に見せかけの嘘のシャワーの室。その天井の穴から、この毒薬チクロンBを投入して窒息死させた。
死体からは金歯が抜かれ、髪の毛が切られ、指輪やピアスが取られ(全部お金になるから・・・)そして死体は焼却炉へ。髪の毛も展示されていました、髪の毛で生地が作られたそう・・・。

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収容所に送られてきた人たちのトランクや靴。トランクには名前や住所が書いてあります。
みんな、生活するために新たな生活に希望を持って。お気に入りのよそ行きのピカピカの靴を履いて・・・。
私が思うに靴ってその人の生き様が出ると思う。だから、この靴の展示は本当に辛かった。すごく強いものを感じました。
また人々の食事量は僅か、、、朝食という名のコーヒーと呼ばれた液体、昼食として水のような腐ったスープ、夕食は黒パンと薬草の飲み物。博物館で思わず目を逸らしたくなる痩せ餓えた女性の写真を見た時は・・・・こうして、世界の食べ物を食べ歩いている自分に、気が引けてしまいました。
少し経った今は、だからこそ、そんな思いを感じたからこそ現代を生かしてもらってるからこそ、感謝しないとと改めて思えるようになった、思うようにしています。

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「死の壁」ここで主にポーランド人を銃殺したよう。花束がその悲惨さを物語っていました。
ここのブロックは「死のブロックと呼ばれていて、内部はほぼ当時のまま臨時裁判所や監禁室、移動絞首台、飢餓室、立ち牢などが残されています。

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またナチスはこれだけの施設では満足せず、ここから約2kmほど離れた所に更にも大規模な一大殺人工場を作りました。それが第2アウシュビッツことビルケナウです。

取りあえずここまで。
なかなか、書いてて重たくなるので一気に書けません(*_*)
今回私は、ガイドなしで見て回りましたが時間が合えばガイドを付けて回ったほうが、より深く理解出来ると思います。また、常駐ではないようですが日本人ガイドさんもいらっしゃるようです。
今回のブログも、ほとんどを"国立オシフィエンチム博物館 案内書"を引用させて頂きました。

↓読んで頂きありがとうございます。
 何度も言いますが、日本が大変な時にしかもこんな気が重たくなるブログを書いたこと、読んで下さった方が益々気が重たくなったりしたらすみません。
でもこのタイミングも何か意味があるのかもしれません。と思って、私はブログを書くことにしました。。。
読んで下さった方、すみません ありがとうございます。
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今日も日本のことを想って・・・。
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この記事へのコメント

写真は怖くて開けず(笑)

いろんな人との出逢い、拠点型の旅も好きかもなぁ


地球はやっぱり生きてるからねぇ

いろんなことが起きるよ
いいことあり悪いことあり


☆飲食や人も、可能なら載せてね~(笑)!
Posted by ひろ at 2011.03.19 22:40 | 編集
>ひろさんへ
すみません、、、開けられない写真を載せてしまって・・・。
また、見れる時でいいので見てやって下さいm(__)m

そう!そうなんです!それが言いたかった!!
「拠点型」
ひろさん、ありがとうございます。
そうなんですよ、私インドくらいから、自分の気に入ったり落ち着ける所に長く居る方が自分に合ってるかもって思ったんです。(ただの面倒くさがり!?いやいや違いますよねi-201
そうなんです、拠点型の旅。
しっくりきました(笑)

そうですね、地球も私たちも生きてる。
お互い色々ありますよね。
きちんと向き合わないとですね。

☆ハイ。可能な限り載せますね(*^^)v

今後とも喝と拠点型の旅、お付き合いよろしくです。
Posted by azu at 2011.03.20 02:44 | 編集
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